ジェラート豆知識

ジェラートの歴史

ジェラートの歴史として最も古い記録は旧約聖書に遡ります。乳と蜜で、長老達は夏に氷雪で冷やしたミルクシャーベット風の食べ物を愛飲していたと考えられます。
ヨーロッパ一帯からアラブ・エジプトを平定し、クレオパトラとのロマンスでも有名なローマの英雄ジュリアス・シーザー(BC100~440年)。シーザーは若者をアペニン山脈に走らせ、氷や雪を運ばせて、乳や蜜、ワインなどを混ぜて飲んだと伝えられています。これが純粋に嗜好食品としてジェラートを求めた最初と言われています。

暴君で名高いローマの皇帝ネロ(DC37~68年)はアルプスから奴隷に万年雪を運ばせて、薔薇やスミレの花水・果汁・ハチミツ・樹液などをブレンドして作った『ドルチェ・ビータ』を愛飲していたと言われています。また、このドルチェ・ビータはローマ市民の間にも広がり、裕福な家庭では自宅に氷の貯蔵庫を設け、宴会などで楽しんだと伝えられています。
アイスクリームが中国からイタリアへ伝わったという節もあります。それを持ち帰ったのがマルコポーロ(1254年~1324年)。彼の東方見聞録の中には北京で乳を凍らせたアイスミルクを味わったという記述が有り、その製法を伝えました。これがヴェネツィアで評判となり、氷菓の製法は北イタリア全土に広がったと言われています。

古代ヨーロッパ文明の中心は、地中海で、中でもシチリア島は東西文明の十字路と言うことも有り、栄華を極めていました。9世紀から11世紀ごろまでアラブ王サセランに支配され、イスラム文化が定着します。アラブの『シャルバート』も伝えられ、その後『ソルベット』(シャーベットのイタリア語)へと変わっていきます。シチリア島では様々なソルベットが作られましたが、その一つに果実をふんだんに使った『カッサータ』があります。

1533年、ルネッサンスにも多大な影響を与えたフィレンツェの大富豪メディチ家から、カトリーヌ・ド・メディチがフランス王アンリ2世に嫁ぎました。カトリーヌは菓子やアイスクリーム職人を始め、多くの料理人を伴ってお国入りし、婚礼ではイタリアの豪勢な料理がサービスされました。中でも、木イチゴやオレンジ、レモン、イチジク、レーズンなどのフルーツやナッツ、ピスタチオなどを使ったシャーベットの素晴らしさはフランス貴族を驚嘆させたそうです。そして、その製法は国家の秘宝とされました。

ジェラートとは

ジェラートとは、イタリア語でアイスクリームのこと。でもただのアイスクリームではありません。ジェラートを作るとき欠かせないのが、新鮮な原材料です。伝統的な製法では、フルーツは旬の素材をその場で調理して使用します。

ジェラートの根幹は、空気の含有量、滑らかさや保型性などのボディーの組成、風味の表現方法、と考えられます。空気の含有量はオーバーランと呼ばれ、オーバーランが高くなると滑らかな食感となり、ボディーの滑らかさや保型性につながります。ボディーと滑らかさの加減により風味の表現方法につながります。つまり、美味しいジェラートを作り出すにはこれら3つの要素のバランスを取ることがジェラートの秘訣となります。

今日では、原材料の多様性と、製法の進化、そして作り手の技術の進化によって、食べて美味しく、楽しみのあるジェラートに発展しています。

ジェラートの本質は上述の通りですが、『ジェラート』という分野に着眼すると、日本において明確な定義又は法的な定義がありません。日本では『アイスクリーム類』という定義が食品衛生法の中の乳及び乳製品の成分規格等に関する省令で以下のように分類されています。

区分 種類別 乳固形分 うち乳脂肪分 大腸菌群 一般生菌
アイスクリーム類 アイスクリーム 15.0%以上 8.0%以上 陰性 100,000以下/g
アイスクリーム類 アイスミルク 10.0%以上 3.0%以上 陰性 50,000以下/g
アイスクリーム類 ラクトアイス 3.0%以上 陰性 50,000以下/g
一般食品 氷菓 上記以外 上記以外 陰性 10,000以下/g

このように、法的な意味においては日本ではジェラートという種類別はありません。しかし、ジェラートの伝統と本質を良く理解し、ジェラートの本質に協調して寄り添い、自分の中のジェラートを創り上げられたとき、ジェラートととなります。